大判例

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大阪地方裁判所堺支部 昭和41年(ワ)316号 判決 1973年3月28日

原告

大谷コイノ

右訴訟代理人

藤井信義

被告

大谷春男

右訴訟代理人

大江篤弥

右同(但し昭和四一年(ワ)第三一六号事件のみ)

平井勝也

外二名

主文

一、被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地建物につき、大阪法務局堺支局昭和四四年一二月一五日受付第七七七九八号所有権移転登記で原告の持分三分の一、被告の持分三分の二の共有名義に登記されているのを原告の単独所有名義に更正登記手続をせよ

二、被告は原告に対し、別紙物件目録第一記載の土地を引渡し、且つ、同第二記載の建物を明渡せ。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決

二  被告

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  別紙物件目録記載の土地・建物(以下本件土地建物という)は、亡大谷春之助が所有していたが、昭和三六年一一月一五日同人の死亡により、その配偶者である原告と戸籍上の嫡出子である被告が共同相続したとして、主文第一項記載の共有名義の登記がなされ、被告がこれを占有している。

2  しかしながら、亡大谷春之助及び原告と被告との間には、嫡出子関係も親子関係も存在せず、本件土地建物は原告が単独相続したものである。

3  よつて相続回復請求権に基づき本訴に及ぶ

二  請求原因に対する認否及び主張

請求原因事実中、亡大谷春之助と被告との間に親子関係が存在しないということ及び原告が本件建物を単独相続したということは争うが、その余の事実は認める。

仮に亡大谷春之助と被告との間に実親子関係が存在しないとしても、右両名間には養親子関係が成立している。すなわち、

亡大谷春之助と原告は、被告と親子関係を創設する縁組意思があり、大正一一年三月ごろ生後間もない被告を手許に引取り、同年九月一二日嫡出子として出生届もなし、右春之助が死亡するまで親子関係としての生活が継続し、養子縁組としての届出はないが、嫡出子出生届があるから、右届出は本来無効というべきであるが養子縁組届としての効力を認めるのが相当であり、右出生届の日に養子縁組が成立している。

三  抗弁

仮に亡大谷春之助と被告との間に実親子関係ないし養親子関係が存在しないとしても、

1  亡大谷春之助及び原告と被告との間には内縁の養親子関係が存在するから、原告の本訴請求は権利の濫用として許されない。

2  被告は亡大谷春之助から本件家屋を使用貸借したものであり、その使用貸借上の権利は消滅していないから、明渡す理由はない。

四  抗弁に対する認否及び主張

被告の抗弁はいずれも争う。仮に内縁の養親子関係が成立しているとしても、被告は昭和二〇年九月に軍隊から帰つて後、原告を殺すと脅し、更に多大の借財を作つたことから亡春之助は被告を相手として親子関係不存在の調停を申立て、同人の死亡後被告は原告の財産を恣に使用し、原告を本件建物から追い出しにかかり、被告が猟銃をふりまわし、原告を殺すといつてあばれ廻るので、原告は着のみ着のままで家を出て今日に至つているものであり、以上の被告の行為は離縁原因に該当し、原告の本訴請求は法律上当然のことで権利濫用に該当しない。

第三  証拠<略>

理由

本件土地建物は、亡大谷春之助が所有していたが、昭和三六年一一月一五日同人の死亡により相続が開始したことその配偶者である原告と戸籍上嫡出子である被告とが共同相続したとして主文第一項記載の共有名義の登記がなされ被告がこれを占有していることは当事者間に争いがない。

そこで亡大谷春之助及び原告と被告間の親子関係の有無について判断するに、成立に争いのない甲第一、二号証(いずれも判決正本)、同第三、四号証(いずれも戸籍謄本)、同第一九ないし二一号証、同第二三号証(いずれも証人尋問調書)、原、被告各本人尋問の結果(いずれも一、二回)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告と亡大谷春之助は、大正一一年九月二二日婚姻届出をした夫婦であるが二人の間に子供がなかつたところ、春之助の使用人杉田由太郎の寄宿先門野捨次郎のところにはその妻スエとの間に数人の子供がおり、更に大正一一年一月中に右夫婦間に被告が出生し、間もなくスエが死亡し、捨次郎が乳児を抱え女手がなく困つていたので、これを見兼ねた杉田が原告に「もらつて養育したらどうか。」とすすめ、原告は春之助と相談の末、自分達夫婦の子として育てることとし、同年三月一三日、生後間もない被告を引き取り、春之助が「春男」と命名し、顔見知りの堺市役所の小使い某に戸籍上の届出手続を一任し、その者が同年九月二二日被告を嫡出子として出生届をなし、それが受理されて、亡大谷春之助の戸籍に、同人と原告間の長男、出生年月日大正一一年二月一日として記載されたこと、その後被告は自転車の製造販売業を営んでいた亡春之助と原告との間で実子同様に育てられ堺市立の商業学校を卒業し、原告夫婦の被告に対する愛情も深かつたこと、被告は兵役に服していた昭和二〇年四月頃市子と結婚し、同年九月頃復員し、本件家屋で原告夫婦と一緒に生活し、亡春之助の事業を手伝つていたが、亡春之助の事業の経営が悪くなつた昭和二十、八年頃、亡春之助と被告の仲も悪くなり、亡春之助から被告に対し、大阪家庭裁判所堺支部に、親子関係不存在確認の調停申立が出され、被告夫婦は本件家屋を出て、同じ場所の別棟の建物に住むようになつたこと、その後右調停は取下げられ、原告夫婦と被告との争いも一たん解消し、亡春之助はマーケットを経営すべく、原告名義の堺市香ケ丘の土地上に、被告名義で営業及び建物建築の認可を受け、建物の建築にかかつたが、その途中で病気になつて入院し、原告が病院へ付添に行き本件家屋が留守になるので、被告は、再び本件家屋に住むようになり、春之助が昭和三六年一一月二五日病死した後、その計画を引き継いだが結局失敗し、具足某にその債務を肩代りして貰う代りにマーケットの土地・建物を譲つたこと、原告と被告との仲は、被告が妻帯してから悪くなつていたが、被告がマーケットの債務の肩代りに原告名義の土地を具足に譲つたことで決定的に悪くなり、原告が具足にその土地の移転登記を拒んだため、昭和三七年四月三〇日頃被告から追い出されるようにして本件家屋を出、以来現在まで知合の家に身を寄せて別居し、本件家屋には被告夫婦が居住していること、そのため原告は昭和三九年に被告を相手に原告及び亡春之助と被告との親子関係不存在確認の訴を提起し、一審では請求どおり認容され控訴審では春之助が死者である関係で、春之助と被告との親子関係不存在確認を求める部分を取下げたが、原告と被告との関係はそのまま一審判決が支持され、昭和四三年三月頃その判決が確定したことが認められる。原、被告各本人尋問の結果(いずれも第一、二回)中、右認定に反する供述部分は採用しない。

以上の認定事実によれば、亡春之助及び原告と被告との間に実親子関係が存在しないことは明らかであり、更に養親子関係の有無につき判断するに、被告は亡春之助と原告は被告と親子関係を創設する縁組意見があり、養子縁組としての届出はないが、嫡出子出生届があるから、これに養子縁組としての効力を認めれば、右出生届の日に養子縁組が成立している旨主張するが、養子縁組の届出は所定の要件を必要とする要式行為であり、当事者間に養子縁組意思が認められるとしても、その所定の要件を具備しない本件嫡出子の出生届をもつて養子縁組の届出があつたものとすることは相当でないから、亡春之助及び原告と被告との間に法律上養親子関係が成立していると認めることもできない。そうすると法律上の親子関係のない被告に相続権を認めることは否定せざるを得ず、本件土地建物は原告が単独で相続し、その所有権を取得したものといわざるをえない。

そこで進んで被告の抗弁につき判断するに、被告は、亡春之助及び原告と被告との間には内縁の養親子関係が存在するから、原告の本訴請求は権利の濫用として許されない旨主張するところ、前記認定事実によれば、原告と亡春之助は、生後間もない被告をもらつて実子同様に育て、大正一一年から春之助の死亡する昭和三六年まで、その間右春之助から被告を相手として一度家庭裁判所に親子関係不存在確認を求める調停の申立があつたものの、それも間もなく取下げられ、右春之助の死亡まで結局四〇年間にわたり亡春之助と被告との間に内縁の養親子関係が継続したと謂うことができ、原告と被告との内縁養親子関係についても被告が原告のところへもらわれてきた大正一一年から、原告が本件建物を出た昭和三七年までは一応継続していたものと認められる。そうして、約四〇年間もの長きにわたり同じ場所に住み、真の親子同様の内縁養子関係を継続しておきながら、その一方が、その内縁関係を不当に破棄し、土地・建物所有権に基づき明渡を求めるような場合には、権利の濫用として相手方においてその明渡を拒みうると考える余地があるが、前記認定事実によれば、本件にあつては、原告の方から原被告間の内縁養子関係を不当に破棄したものとは認めにくく、むしろ、被告の方が、原告を本件家屋から追い出し、原被告間の共同生活を終了させて内縁関係を破棄したものと認められるから、原告の被告に対する本件土地建物所有権に基づく明渡請求は正当であり、その明渡請求権の行使をもつて権利濫用ということはできず、また原告の単独相続した本件土地建物について、被告の三分の二の持分を否定する更正登記の請求について、これを権利濫用とする根拠も見出し難い。

更に進んで、被告は亡春之助から本件家屋を使用貸借したものであり、その使用貸借上の権利は消滅していないから明渡す理由はない旨主張するが、被告が亡春之助との間で本件建物の使用貸借契約を締結したと認めるに足る証拠はなく、かえつて前記認定事実によれば、被告は昭和二〇年九月頃から本件家屋に原告夫婦と同居していたが、昭和二七、八年頃から本件建物とは別棟の建物に住むようになり、春之助が入院中に留守番のようにして本件家屋に住むようになつたのであるから、内縁養子関係の存在を基礎として本件家屋に住むようになつたものというべきである。そうして、内縁養親子関係成立に伴い、養子が養親の家屋を使用する関係は、内縁養親子関係の存在を基礎として、それが存続する間無償で使用しうる関係であつて、その内縁関係が破綻し、離縁同様の状態になつた場合は、法律上の離婚ないし離縁の場合と同様に、その家屋を使用しうる権利は消滅するものというべきであり、春之助との内縁養親子関係は、その死亡によつて消滅し、春之助死亡後も原告との間の内縁養親子関係が存続する間は被告においてこれを使用しうるわれであるが、前記認定事実によれば原被告間の内縁養親子関係は完全に破綻し、内縁関係は解消したものと認められるから、結局被告のこの点の主張も理由がない。

そうすると、原告の本訴請求はいずれも正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(本井巽 松島和成 浦上文男)

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